Friday, July 28, 2017

タイの仏像展から


日本・タイ修好130周年記念
仏像展
大乗仏教の痕跡
千手観音のような
般若波羅蜜多立像
12世紀末頃
2017年は明治20年(1887年)に日タイ修好条約が結ばれて130周年記念となる年で、明治政府が東南アジア諸国と外交関係を結んだ初めての条約である。

この130周年を記念して「タイ~仏の国の輝き~」展が東京国立博物館で開催されているので見てきた。 タイでは人々の暮らしの中に仏教が息づいている、バンコクのような大都市でも、地方の農村や離島でも、朝、托鉢をする黄衣の僧侶に供物を捧げる人たちや、寺院でお祈りを捧げる人たちの姿は日常風景である。タイの仏教はインドからスリランカを経て伝えられた上座部仏教(南伝仏教)で釈迦像がメイン。しかし、今日のタイの姿になるまで、いろんな部族が興亡し、その間大乗仏教も一時伝播したことを、この展示会で初めて知り驚いた。大乗仏教では多数の宗派、多種多様な仏像とお経が創造され、伝播して行く。衰退はあってもその中で信仰した人々の痕跡が残るものだが、タイでは余り見当たらない。
初期の仏像
インドの影響が残る

日本には、インドから中国、朝鮮半島を経由して仏教が伝わり、その過程で多種多様な経典や仏像が生まれた。時代の背景とともに宗派の興亡はあったが、寺院、仏像などの姿で今日まで残ってきたため、実にバラエティに富んだ仏像が残る。明治政府の廃仏毀釈で数え切れないほどの仏教の歴史的遺産が消滅したにもかかわらず現在まで伝えられている仏像の種類、数は世界一かも知れない。



シャム王朝で王の側近になった
山田長政像
上座部仏教とは釈迦の弟子から伝えられ継承された「長老の教え」を意味し、出家と戒律を重んじる釈迦仏教の姿を伝えている。現在のタイ憲法では、「国王は仏教徒である」と規定され、王は仏教の擁護者であることが求められている。国民の90%以上が仏教徒であり、タイ文化に深く仏教が根ざしていることがわかる。タイの人々の温かさや微笑みは、タイの文化である。

日本とタイの関係は、琉球とアユタヤとの交流が古くからあり、アユタヤ王朝で日本人が要職に就いていたということも実証されている、あの山田長政だ。タイ人が初めて日本に来た記録は南北朝時代(1389年)に、タイの船が朝鮮半島の高麗王朝に入貢したついでに日本に立ち寄り、1年も滞在したと言う。
シャム王の近衛兵
丸刈りで薙刀を持っているのが日本人
ランナータイの仏像
アユタヤ王朝は日本ではシャムの名前で知られている。仏教国タイの歴史は、タイ族初期のスコータイやランナータイがスリランカから上座部仏教を王朝主導で受け入れたことから始まる。その後アユタヤ王朝は200年に亘り東西交易の拠点として仏教を基礎として繁栄を誇った。しかし、隣国ビルマ王朝の侵攻で壊滅。今日、観光でアユタヤを訪れた人は、首を落とされた多数の仏像の無残な姿を目にするだろう。
その後、ラーマ1世王が、現在のバンコックに、アユタヤの王都を再現する形で王宮を建設した。中でも仏教興隆事業はアユタヤ再現のため王がなすべき最も重要な仕事とされた。

昨年10月タイ中興の祖であったラーマ9世王が亡くなった。
タイの人々は「王は菩薩となり天界に昇られた、未来にはきっとまた王にまみえることができる」と言っており、タイ人の心に深く根ざした仏教文化の形を伝えている。
ずらりと並ぶ仏像達(すべて釈迦像)
タイでは涅槃仏が多い、涅槃の姿で微笑んでいる。
日本の涅槃仏は入滅後(目を閉じている)か
入滅直前(目を明けている)かどちかかである。
優雅な姿の遊行仏 衣の表現が素晴らしい




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