Sunday, September 11, 2016

壺阪寺 インド石仏のワンダーランド


壺阪寺全景
沢市お里の墓
高取町にある
壺阪寺をご存知ですか、恐らく浄瑠璃「壺坂霊験記・ 沢市お里物語」の舞台で、眼病に霊験あらたかな観音様のお寺と言うのが一般的でしょう。壺坂霊験記のあらすじはこちらから

寺の案内によると、創建は大宝3年(703年)元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行し、愛用の水晶の壺を庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりとされる。境内からは藤原宮時代の瓦が多数出土している。平安期には、長谷寺とともに定額寺となり(847年)、平安貴族達の参拝も盛んで、清少納言は「枕草子」のなかで「寺は壷坂、笠置、法輪」と霊験の寺として、筆頭に挙げている。その後、南北朝や戦国の動乱に巻き込まれ、一時は山内に三十六堂、六十余坊の大伽藍を配していたのが、境内には三重塔と僅かな諸坊を残すだけとなった。現在の堂宇は新しく改築、新築されており、古い仏像も少ない。
これが本尊の千手観音
しかし、壷阪寺は藤原京の中心道路である朱雀大路を延長した線上に位置し、その中軸線上には、7~8世紀の天武・持統陵、中尾山古墳(文武陵)・高松塚古墳・キトラ古墳など、天武朝の皇族に関係する古墳が多く点在しており、これを【藤原京の聖なるライン】と呼ぶ。
天皇として初めて火葬になったのは持統天皇。持統天皇は大宝2年(西暦702年)12月22日に亡くなっている。天皇等の身分の高い人が亡くなった時はもがりといって1年ほど本葬をする前に遺骸を納めて祀る期間があるので、実際の火葬は1年後の大宝3年(西暦703年)である。壷阪寺の建立時期も大宝3年で、持統天皇の霊を弔うため、弁基が建立したと考えられ、当時としてはとても格式の高い寺院だったに違いない。

大観音像と釈迦涅槃像
このような組み合わせはここだけ

釈迦三尊など多数
私も「壺坂霊験記」程度の知識と、藤原京時代の古い寺、と言う認識で行ってみた。ところが、広い境内は、インドからやって来た巨大石仏群 で埋まり、インド石仏のワンダーランドになっている。山の斜面には、インド渡来の高さ20mの石作りの白い大観音像が立ち、その他、釈迦三尊など多くの仏像がひしめいてる。 一体これは????
普賢菩薩
象に横乗り
珍しい
文珠菩薩
獅子に横乗り
壺阪寺の住職はハンセン病救済事業活動を続けており、インドにもその活動を広げインド国内で大きな反響があった。その縁で石仏達は、インドから招来したものである。 南インドカルカラの三億年前の古石がインド政府やインド国民から提供され、延べ7万人のインドの石工が参加して手造りで製作された。 20mの巨岩は動かすことも、運ぶことも不可能なので66個に分割して彫刻し、日本に運ばれ組み立てられた。 66個の石が1本の巨石となっている。 観音立像だけでもこのような大事業なのに、その他にも、多数の巨大仏が安置されている。
インド仏
インド仏
日本国内で、これだけの数のインド仏が一同に集まっている場所は他には無いだろう。






インド エローラアジャンダ風寺院
中は仏舎利塔がある

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