Tuesday, August 9, 2016

東大寺大仏

大仏様
東大寺ミュージアムはオープンした時に駆けつけて、国宝、重文がいっぱいの展示に感動した。また2月堂や法華堂、戒壇院など関連の寺院にも通った。にも関わらず、本体の東大寺大仏殿は拝観していないことに気がついた。いつ頃から行っていないのか、数十年にもなるだろう。
大仏殿
大多数の人は、恐らく修学旅行の時に訪問しただけではないか。
今回、東京から孫達がやって来たのを機会に、奈良公園の鹿を見ながら、大仏を見物させれば思い出の夏休みになるだろうと、猛暑の中大仏様を見に行った。

歴史的には、聖武天皇が発願し、初めて仏教をもって国を治めると定めた重要な東大寺建立である。全国に国分寺、国分尼寺も建立させ、東大寺はその頂上に位置する国営の仏教施設であった。
子供達は鹿のほうに興味
従来、豪族や渡来系の人々が私的に信仰していた仏教、寺院、仏像を国家が率先して、当時の人々に開放し布教をすすめた歴史的行事が、東大寺建立であったと言える。そのために国の機関「造東大寺司」が組織され、東大寺、大仏、などの建設に当たった。

しかし、大仏造立・大仏殿建立のような大規模な建設工事は国費を浪費させ、日本の財政事情を悪化させるという、聖武天皇の思惑とは程遠い事実を突き付けた。貴族や寺院が富み栄える一方、農民層の負担が激増し、平城京内では浮浪者や餓死者が後を絶たず、租庸調の税制も崩壊寸前となった。聖武天皇崩御の後、橘奈良麻呂が「東大寺などを造営し人民が辛苦している。政治が無道だから反乱を企てた」と乱を起こし処罰されている。いかに国力をあげた一大プロジェクトであったのかがわかる。
観光客は90%外国人
穴くぐりに長蛇の列


東大寺は華厳宗である。華厳宗は中国(6世紀隋の時代)にて、大乗仏教の1つである「大方広仏華厳経」を経典として独自の教学体系を立てた宗派である。日本には、722年天皇のために「八十華厳」が写筆された記録がある。奈良仏教、南都六宗(法相宗、三論宗、倶舎宗、成実宗、華厳宗、律宗)の1つで、この当時の宗は現代の宗派とは異なり、大学の学科のような色合いであった。僧侶はどこかの宗派に属するのではなく、学ぶべき項目ごとに各宗を勉強して回るスタイル。
この華厳経には、宇宙の本質としての光の仏、毘盧遮那仏(ルビシャナブツ)を中心とした宇宙の有り様、お釈迦様の悟りの内容、等が解かれており、その姿を仏像にしたのが東大寺大仏である。
「るびしゃな」とはあまねく光が照らすの意で、後に真言密教の最高仏である「大日如来」となる。
高さ35m

オリジナルは大きかった
大仏は、天平時代の創建から何度も焼け落ち、その都度修復されてきたので、満身創痍である。蓮弁や台座の部分のみに天平時代のオリジナルがのこっており、その後1190年、1571年、1580年、1690年と修復されつぎはぎだらけのお姿になっている。特にお顔は江戸時代のもので、天平のお顔とは全く異なった仏像になっている。
大仏の入れ物である大仏殿も、何度も修復され、オリジナルと比べると小ぶりになった。今のサイズだって木造建築では世界一の大きさだが、昔はもっと大きかったのだ。
大仏は台座の蓮弁を見るべし





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