Monday, May 30, 2016

仏像の来日 東京国立博物館 法隆寺宝物館再訪

朝鮮3国時代に渡来した金銅仏
東京国立博物館に法隆寺宝物館があり、モダンな建物の中に飛鳥・白鳳時代の宝物が収められている。概括的には、当ブログ「法隆寺宝物館」で紹介したので参照されたい。
今回は、日本へ仏像が入ってきて、それが徐々に日本化される経過と形の変化を確認したいと思い、再訪した。
止利仏師様式
菩薩立像
仏教の伝来は日本書紀によると、百済の聖明王から欽明天皇時代(538年あるいは552年)に伝来したとされている。
止利仏師様式
菩薩立像
その後、崇仏・廃仏の争いが蘇我氏と物部氏との間で起こり、一旦は廃仏派が優勢だったが、厩戸皇子(聖徳太子)と蘇我馬子が中心となり、仏教文化が花開く、そして仏教文化が飛鳥文化を支える思想的支柱となってゆく。厩戸皇子は574年に生まれ、622年に49歳で亡くなった。皇太子になったのが、蘇我氏の氏寺として日本最初の寺院「飛鳥寺」が建立(593年)された年である。飛鳥寺には、馬子の長男・善徳が寺司となり、高句麗僧の慧慈と百済僧の慧聡らが居住したとされる。
朝鮮3国時代の
半跏像
厩戸皇子と蘇我馬子の周りに、外国からのブレーンが集まる。太子とつながりの深い百済の覚加、僧の観勒、新羅からの渡来人秦河勝など。
亡くなった夫の供養
に作ったと銘のある
半跏像 朝鮮3国時代様式
さらに、百済から令斤など10名以上の僧が渡来、仏舎利をもたらした。その他に、名前は挙げないが、高句麗、新羅からも大勢の僧がやって来て、仏法のみならず、寺院建築技術、鋳造技術、造瓦師、画工、暦法、遁甲、方術、紙墨、水力による臼、土木工事、伎楽、芸能、などが持ち込まれた。いわば、仏教伝来の地、飛鳥は、当時のグローバル文化・文明の中心であり、最先端のサロンでもあった。面白いことに、この時、道教も入ってきている。

仏教が公式に伝えられたことで、いきなり、仏教思想が当時の貴族や豪族に広まったとはとても思えないし、渡来の僧が大勢やって来たとは言え突然、新規思想や文化が急激に伝播するのも不思議である。
童子の姿を
写した形に
工房(止利仏師系)
ができて生産体制
も整う
背景には、それまで日本(と言うか倭国)に渡来していた人たちの文化があったに違いない。調べてみると、古代日本において最も多くの人口と広い分布を誇る氏族は、藤原氏でも蘇我氏でも物部氏でもなく、おそらく渡来系の秦氏であろうと言われている(上田正昭氏 渡来の古代史)。秦氏の居住したことが歴史資料上確認できる国は、34カ国89郡に及ぶとされている。北は下野国・上野国から南は豊前・筑後に至る。例外は関東以北と九州南部のみである。彼らが渡来して、文化や文明を持ち込み、その中に仏教やそれにまつわる仏像などを自らの生活の中に定着させていたからこそ、わずか40~50年間で仏教文化が根付いたのだ。
異国の像も入ってくる
半跏像

法隆寺宝物館の30cmから40cm程度の金銅仏は、渡来時に持参するにはちょうどよいサイズであり、それを原型として多くの模倣品が制作され各地に拡散されたのだ。
飛鳥から白鳳に日本化がすすむ
観音・勢至菩薩像
体をひねり優美な姿に






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