Thursday, December 3, 2015

奈良 安倍文殊院再訪

文殊渡海菩薩と脇侍
深まりゆく秋の一日、奈良桜井にある安倍文殊院を再訪。5年前に訪れた時は、調査修復のため、文殊様が獅子から降りていた。調査修復の結果、2年前に文殊菩薩像を含む5体が国宝に指定され、仏像たちは金庫様の建物の奥に鎮座していた。
文殊と獅子
改めて快慶作の文珠菩薩をじっくり拝観、やはり細かなところまで行き届いたつくりで素晴らしい出来だ。私は、この文殊菩薩像は快慶最高傑作の1つだと思っている。緊張感の漂う顔の表情や風になびく衣紋の裾の表現など、柔らかくそして凛としている。衣紋につけられている切金細工の模様も一切手抜きなく美しい。

安倍文殊院は大化の改新で朝廷のトップ(左大臣)に登用された安倍倉橋麻呂の氏寺である。同じく大化の改新の功績があった蘇我倉山田石川麻呂(右大臣)と共に飛鳥京のすぐ近くの一等地を、授けられ、各々氏寺を建立した。蘇我倉山田石川麻呂は山田寺を建立したが、石川麻呂はその後謀反の疑いをかけられ自害、山田寺は廃寺となった。
阿倍仲麻呂
ちなみに山田寺は興福寺宝物館に展示されている飛鳥時代、白鳳時代の仏頭があった寺院である。両寺とも東大寺と同じく国家鎮護を目的とした華厳宗であり、格式の高さが分かる。
安倍氏はその後、阿倍仲麻呂(遣唐使で中国に渡り、唐の科挙に合格、唐朝において高官に登ったが日本への帰国を果たせず当地で亡くなった。百人一首の望郷の歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」で有名。詩人で唐の李白とも親交があったとされる)や、平安時代の陰陽師、安倍晴明などを生む名門家系となる。
安倍晋三名の灯籠
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安倍文殊院境内にずらっと並ぶ献納石灯籠に、現総理大臣安倍晋三の名もあったが、彼がこの系譜に繋がるかどうかは知らない。

国宝の文珠菩薩および脇侍4躯は、文殊5尊像と呼ばれ文珠菩薩の聖地である五台山へ海を渡って赴く姿を表しており、渡海文殊とも言われる。
脇侍は、善財童子、優填王(うてんおう)、最勝老人(安倍文殊院では維摩居士)、仏陀波利三蔵(安倍文殊院では須菩提)である。
善財童子
善財童子が可愛いのでよくCMやポスターなどに登場する。文珠菩薩の頭部内に銘記があり、快慶の名や結縁者である東大寺創建に関わった重源などの名と、建仁3年10月8日の日付がある。快慶自身は7月24日から10月3日まで東大寺南大門の仁王像造立に参加しており、大変多忙だったに違いない。
最勝老人像は快慶作ではなく、(1607年の補作)であり、文殊像の台座である獅子像もこの時代の作である。確かに文殊菩薩像と獅子像を比較してよく見ると、獅子像の作りはいかにも雑で大雑把だ。獅子のたてがみなどは、大まかすぎてとても文珠菩薩のつくりとは、似ても似つかないのが良く分かる。
美しい文殊像



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