Saturday, May 2, 2015

インドの仏展 Indian Buddhist Art from indian Museum Kolkata

ギリシャ風の菩薩頭像
髪や顔はギリシャ彫刻そのものだ

AC200頃の弥勒菩薩像
印度化が進んでいる
東京国立博物館「インドの仏、インド・コルカタ美術館展」が開催中で、インド・コルカタ博物館所蔵の仏像や経典90点が出品されている。コルカタとは旧カルカッタのことで、1814年に開館、アジア最古の総合博物館である。人文科学、自然科学など多岐にわたる収蔵品があるが、特にブッダに関するあらゆる作品の所蔵では、世界でも比類のない博物館で、仏教美術コレクションは有名だ。


紀元前5世紀、インドで釈迦が開いた仏教は、インド各地で信仰を集め、その後、中央アジア、東南アジア、
仏足石
東アジア、そして日本へと伝播した。
仏教文化は単に宗教思想のみならず、建築、絵画、彫刻、その他数多くの文明と文化を、遠く極東まで伝えてきた。
恐らく仏教美術が好きな人なら一度は、この美術館を訪れたいと願っているはずだ。でもコルカタは距離的にも心情的にも遠すぎる。日本で作られ、今日まで伝えられた美しい日本仏教文化の遠いルーツが、インドコルカタ博物館にあり、それらを東京で居ながらにして目にできる有り難さ、不思議さをつくづく感じる。

菩提樹
人々は菩提樹の根元に釈迦
の姿を心に描いた
釈迦入滅後200-300年間、仏像は作られなかった。それは釈迦が生涯をかけて「人は自ら努力することにより解脱出来る」と説いており、人としての釈迦を尊崇するのではなく、教えを敬えと弟子たちに諭したからだ。
人体を模した仏像が出来るまで、釈迦を慕う人々は、釈迦の教えを象徴した法輪、釈迦が悟りを開いた菩提樹、釈迦の足あとを表現した仏足石などを石に刻んで釈迦を偲んだ。そもそも、釈迦は願いを叶えてくれる存在ではなく、修行して近づくべき存在であったため、仏像を必要としなかったとも言われている。
アレキサンダー大王の版図

釈迦の生涯は紀元前463~383年説が最も新しい。仏像の出現にとって
ミャンマー風になった
釈迦像
運命的な事件がアレキサンダー大王の東征である、大王の生涯は紀元前356~323年で、釈迦の入滅後わずか50年後、史上初めてギリシャ文化が、インドガンダーラ地方に及んだ。その結果、この地で初めてギリシャ風の仏像が作られることになる。釈迦を偲ぶことが出来る像はたちまち近隣に伝わり、ギリシャ彫刻の色合が強かった釈迦像は、徐々にインド風に変化してゆく。そして仏像は中央アジアを経て中国へ、また一方は東南アジアへと伝播して行き、中国には後漢時代67年に、そして日本へは百済聖命王から552年(538年説もある)に伝わる。
沢山の手を持つ
女性の姿をした菩薩像
日本では菩薩は
中性とされている
やがて、インドではヒンドゥーの神々を統合して
密教が生まれる。
あらゆるヒンドゥー神が、仏像の姿になり、今日、日本でお目にかかる異形の仏像として伝播する。
十一面観音、千手観音、不動明王、阿修羅像などである。

インドではその後仏教は廃れ、逆にヒンドゥーに仏教が取り込まれてしまう。


ヒンドゥーの神

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