Friday, April 25, 2014

東大寺 戒壇院


東大寺戒壇院
春の一日、東大寺戒壇院を訪れた。鑑真和上とゆかりの深いところだ。

「戒壇」とは受戒の行われる所で、「受戒」とは僧侶として守るべき事を確かに履行する旨を仏前に誓う厳粛な儀式のことだ。

日本に仏教が伝わったのは538年だが、その際に伝わった戒律は不完全なものであった。当時、出家は税を免除されていたため、税を免れるために出家して、得度を受けない私度僧が多く、修行もせず堕落した僧も多かった。
そのため、唐より鑑真が招かれ、戒律が伝えられた。この戒律を守れるものだけが、僧として認められることとなり、仏教界の規律が守られるようになった。鑑真和上のストーリーは以前ブログに書いたので今回はふれないが、私の好きな芭蕉の句だけを記す。
「若葉して御目の雫ぬぐはばや」

山門入り口
天平勝宝6年(754)に僧鑑真が来朝し、東大寺大仏殿の前に戒壇を築いて、聖武天皇をはじめ百官公卿430人に戒を授けた記録がある。これが最初の戒壇で、その後、孝謙天皇の戒壇院建立の宣旨により、東大寺戒壇院が造営され、筑紫・大宰府観世音寺、下野国(現在の栃木県)・薬師寺にも戒壇が築かれた。
天下の三戒壇と呼ばれる。東大寺戒壇院は、創建当初は金堂、講堂などが建てられていて、かなり大きな寺院であったが、何度も焼失、現在の建物は江戸時代(1733年)の再建によるものである。
持国天
広目天
戒壇院は、東大寺の西、小高い丘の上にひっそりと建っており、知らないと見過ごしてしまう。観光客も余り押しかけて来ないので、ゆっくり拝観できる。山門に通じる階段、山門や本堂の建物もこじんまりとしていて、風情がある。

しかし、中に入って、奈良時代の塑像の最高傑作と言われる四天王像(国宝)を観るとズシンと凄さが伝わってくる。
東大寺法華堂(三月堂)のブログにも出てきた日光・月光菩薩と同じく、百済からの渡来人であった國中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)作である。
増長天
多聞天

東南隅で剣を持つ持国天、西南隅で槍を持つ増長天は怒りの表情を露わに見せている。北西隅で巻物を持つ広目天、北東隅で宝塔を高く掲げる多聞天は、眉をひそめてグッと睨みつける表情で、これら2体ずつの対比が面白い。
四天王像は怒りを表現しているのだが、大きさが163cmとほぼ等身大であり、非常に繊細に作ってある。指先などはそこだけ着目するとまるで少女のような滑らかさと繊細さだ。特に、広目天、多聞天は日本人ではない顔つきで、目がいい、超ハンサム。天平時代の作とはとても思えないし、かっこいい。ギリシャの彫刻と言われてもおかしくない。
天平時代にこれだけの表現力をもった仏師、國中連公麻呂と言う人の力量に驚くばかりだ。
切手にも登場 広目天

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