Saturday, April 12, 2014

琵琶湖 長浜のほとけ達

宝冠阿弥陀如来坐像

東京藝術大学美術館で「観音の里 祈りとくらし展」が4月13日まで開催されている。琵琶湖・長浜地区に残っている仏達を集めた展覧会だ。
自分の足で湖北地方の寺院を訪れ、仏像を見て回るのは大変、寺院がポツンポツンと離れているし、時間もかかる。このような展示会はまとめて鑑賞できるし、解説もあって素晴らしい企画だと思う。

琵琶湖の北岸を湖北地域と言う、奈良時代末期から平安時代初期にかけて本格的なすぐれた仏教彫刻が伝わっていた場所だ。とくに観音像が多く残っている。この地域の特徴は、京都や奈良と異なり、これらの観音像を生み出し、祀っていた寺院の多くが廃絶したあとでも、地域の人たちが中心となって、守り伝えて地域に根づいた信仰の対象として継承してきたことだ。
昔からお寺が無住になると新しいお堂や公民館などに仏像をお迎えし、人々の尽力によって、暮らしや風土と深く結びついた信仰の中心にあることが大きな魅力となっている。
木造の仏が多い。中にはかなり傷んだ仏像もある、昔は、村人が川で仏像を洗う習慣があったり、昭和初期まで、子供たちが仏像を近くの川へ持ち出し、一緒に泳いだり、遊んだりしていたと言う。まさに生活の中に溶け込んでいたのだ。円空仏と似たような扱われ方だ。
一木造りが多いが、中には木芯乾漆造りもあり、平城京の官営工房とのつながりも指摘されている。
平安時代にはこの地域に比叡山(天台宗)の影響が及んでくる。代表例が、木造宝冠阿弥陀如来坐像(竹蓮寺蔵)である。地元では聖観音像と呼ばれている、これは比叡山の僧 円仁が中国の唐からもたらした曼荼羅に描かれている中尊で、彼によって比叡山に建立された常行三昧堂の本尊であったとされる。

なぜ、古い仏像が残ったのか。 湖北地方では中世以降「惣村」と呼ばれる自治組織を基盤に、高度な自治能力をそなえた住民たちが台頭していた。
これらの人々によって、有力寺院が没落、廃絶した後も、信仰と仏像を長く守り伝えて来たからである。
16番が腹掛け観音
特に戦国時代に数々の戦禍の舞台となった湖北地方、織田信長の比叡山焼き討ち、賤ヶ岳の合戦、など多くの場面で、住民たちは仏像を土中に埋めたり、池に沈めたりして兵火を免れたという伝承があちこちにある。
大浦観音堂の木造十一面観音立像(腹掛観音)はやはり信長の兵火の時に土中に埋められ、90年後(寛文2年、1662年)に掘り出されたと言われている。
江戸時代には、子授けや安産祈願に霊験のある観音様として崇敬ををあつめ、現在でも亨保4年(1719年)に僧蓮心の作った版木を用いてこの観音様を「さらし」に刷り実際に観音像に巻いて祈祷を行い求める人々に頒布されている。

湖北の観音が数多く大切に守られてきた背景には、経典や儀軌に依らない素朴な信仰形態があると言われている。湖北の観音様は人々の暮らしと切っても切れない存在として、今も地域の営みの中心にあり続けている。


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