Saturday, March 29, 2014

東大寺 三月堂(法華堂)の仏像たち



東大寺は、ほとんどの人が訪れたことがあるだろう、修学旅行で行った人が多いのではないか。東大寺大仏殿はいつも修学旅行生であふれている。近年は中国・韓国の人が多いらしい。それと鹿だ、観光客がいるところ鹿が必ず居る、そして糞が一杯・・・・・
お水取りで有名な二月堂
大仏殿の東の坂道を登ってゆくと、丘の中腹に変わった形の美しいお堂が見える。
法華堂である。法華堂の左上には二月堂があり、法華堂の向かいには四月堂がある。法華堂は、旧暦三月に法華会法要を行うことから三月堂と呼ばれる。この辺りに二月堂、三月堂、四月堂と固まってお堂が建っている。三月堂は東大寺で一番古い奈良時代の建物だが、奈良時代のものは左手の半分で、残り半分は鎌倉時代の礼堂。時代の異なる2つの建物が
三月堂の継ぎ目
合体して面白い形をしている。日本で一番最初の国宝建築物である。東大寺大仏殿は何度も火災で焼けているが、三月堂は奈良時代の建物が残っており、昨年、全面的な修復が終わった。東大寺要録には三月堂の創建は733年と記されているが、修復時に建材の一部を年輪鑑定したところ、729年と731年に伐採されたことが判明、記録は正しいとされた。
この建物を正面から見ると入母屋造りの妻側から見た形になっているが、左にまわって見るときれいな寄棟造りの屋根になっている。
左が奈良時代の建物
元々この2つの建物は別々に建てられ、軒だけを接していた、継ぎ目を見上げてみると、両方の屋根からの雨水を受けた木製の雨樋が残っているのが分かる。 三月堂は建物だけを見ても面白いが、堂内に入ると国宝の仏像がごちゃごちゃと混み合って並んでいて面白い。
さして広くない堂内に10体の仏像がある、(一体は執金剛神立像で秘仏、これだけが塑像だが普段は見えない)それがすべて奈良時代の乾漆仏の国宝である。本尊は不空羂索観音像、其の両脇に梵天、帝釈天の3体が真ん中の列。
不空羂索観音
前列には増長天、金剛力士(阿吽の2像)、持国天の4体が並ぶ。
後列には広目天、多聞天。いずれも大きな仏像なので、広くない堂内が何だか混み合っているように感じる。
これだけ大きな仏像がすべて国宝でかつ乾漆づくりなのもすごいが、何だかバランスが悪い。不空羂索観音(3.62m)の両脇の梵天、帝釈天(各々4.01m)の方が本尊より大きい。さらに不空羂索観音の光背も小さくて不釣り合いな印象が強い。どうやら、歴史の中で焼失したり、廃寺になったりした近所の寺院から仏像を運び込んだと思われる。乾漆づくりの仏像は金銅仏や木造のものに比べて格段に軽いので、何かあった時には持って逃げられるから良かったのかも知れない。しかし、乾漆づくりはあまりにも手間がかかりすぎて、大変なので奈良時代以降は作られなくなる。
不空羂索観音の冠
非常に大雑把に言うと、飛鳥:金銅仏、天平:乾漆仏、奈良:一木造り、平安以降:寄木造りと変遷する、知らない仏像に出会っても、何で出来ているのかが判ればおおまかに時代を推測できる。
本尊の不空羂索観音は観音の変化身の1つで、眼は3つ、腕は4本~8本、もともとはインドのヒンドゥー教のシヴァ神に由来する。シヴァ神は象の皮をまとい、首に蛇を巻き、頭蓋骨の首飾りをつける姿をしている。その影響が残り、不空羂索観音は鹿革をまとっている。左肩から左胸に垂れているのが鹿革である。(暗くてよく見えないが)
不空羂索観音像は747年以前には完成していたと言う文書が残っている。さらに作者として「国中連公麻呂」という渡来人が中心的な役割を担ったこともわかっている。
これだけのすごい国宝仏を9体も一度に見ることが出来る東大寺三月堂は、東大寺大仏を差し置いてでも拝んでおくべき寺院である。
大仏殿と違って空いているよ。


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