Monday, December 16, 2013

京都 仁和寺の国宝

場所は嵐電北野線、仁和寺前
晩秋の一日、京都仁和寺を訪れた。
仁和寺と言えば「御室の桜」、「私ゃおたふく御室の桜 はなは低くても人が好く」の川柳で有名。毎年京都で一番遅い花見はここになる。

仁和寺の桜は背丈が低い、地面が岩盤で出来ており、根が深く入らず、木が大きく育たないためと言われている。
御室桜 お多福桜
忙しくて、「今年はお花見が出来なかったな」と思ったら仁和寺へ行く、ここの桜は八重桜が多く、京都で一番遅くまで咲いている。
毎年、遅い花見を楽しむ人でとても賑わう、昔は樹の下に毛氈を引いて大勢の人たちが宴会をしていた。最近、樹が弱ってきたとかで、樹下に入ることは禁止になっているが、それでもシーズンには大賑わいとなる。
山門
仁和寺は御室の桜で有名だが、多くの国宝の建物、仏像は意外と知られていない。私もお恥ずかしい限りで桜の季節以外に来たことがなかった。

仁和寺は886年(仁和2年)に光孝天皇の発願により御願寺として着工された。完成は宇多天皇の時代で、出家後の宇多法皇が御室(離宮)を作って移り住んだことから「御室御所」と呼ばれた。

以来、代々の天皇、法皇が移り住み明治に至るまで皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)であった格式高い寺院である。
御所の屋根には火災除けの
亀と仙人像
京都の建造物はほとんど応仁の乱により焼失、現在残っている建物はその後再建されたものだ。仁和寺も例に漏れず、すべて焼失し、その後は豊臣秀吉、徳川秀忠などの庇護のもと、寛永年間に伽藍が再建された。
幕末、鳥羽伏見の戦いでは、仁和寺宮嘉彰親王に征夷大将軍の宣下があり、敗戦の結果、仁和寺宮家は廃され、門跡に皇族が就かなくなったため、その後は「旧御室御所」と呼ばれるようになる。
蛇足だが、オムロンで知られる京都の優良企業・立石電機は仁和寺から少し下がったところで産声をあげたので、御室にちなみオムロンを商標としている。

建造物はほとんどが江戸時代(寛永年間)に作られたものだが、その中でも金堂は国宝。この建物は京都御所の正殿であった紫宸殿を移築し改築したもので寝殿造遺構として日本の建築史上非常に重要な建造物とされる。
寛永年間に造られた建物であるが国宝に指定されている。
庭からの眺め
(何故江戸時代の比較的新しい建物なのに国宝なのかと、馬鹿な質問をしてみた。由緒、来歴がはっきりしており、文化的価値があれば、新しくとも国宝になるのだそうだ。)
御所の紫宸殿は本来檜皮葺であったが、寺院建築とするため瓦葺きに改造されている。また、御影堂も京都御所の清涼殿を移築したもので重要文化財となっている。仁和寺の伽藍は国宝金堂に始まり、五重塔、観音堂、中門、仁王門、鐘楼、経蔵、御影堂中門、御影堂などすべて重要文化財である。

御所の庭
宇多天皇の住まわれた御所のあたりに、御殿があり、勅使門、宸殿(皇居・常御殿を移築したもの)、白書院、黒書院、本坊、表門、遼廓亭(尾形光琳の屋敷から移築したもの、茶室)、飛壽亭(光格天皇が造った草庵風の茶席)などで成る。まさに当時の御所そのもので、静かな中に天皇家の人々が暮らしていた風格を感じることができる。御所の中をうかがい知る機会は少ないと思われるが、ここは拝観料さえ払えば誰でも、その静寂な空気を体験できる。
孔雀明王

境内に霊宝館があり、数多くの国宝、重要文化財が収納されている。仏像の他孔雀明王画像、空海自筆を含む真言宗の宝物、仁和寺歴代法親王の記録類、高倉天皇、後嵯峨天皇の遺筆類、など貴重な文物が展示されている。

京都で遅い花見をした後、ゆっくりと境内の伽藍や御所を愛でるのもまた一興ではないか。

国宝阿弥陀仏


















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