Friday, August 9, 2013

今一度、興福寺


興福寺 東金堂と五重塔(どちらも国宝)
興福寺の南円堂、北円堂のブログで、興福寺の寺域や塀がなく開かれた感じがするお寺だと印象を述べたら、色々、コメントをいただきました。
最近、まだ拝観していなかった興福寺・東金堂の国宝群を見る機会があり、改めて、今一度、興福寺シリーズです。

興福寺の起源は669年(天智8)、藤原鎌足の妻、鏡女王が京都の山階寺を建立した時とされている。
東金堂の仏像はいずれも国宝
ご本尊の薬師如来は飛鳥の山田寺から
略奪(?)してきたとも言われている
興福寺の説明では、710年(和銅3)に飛鳥藤原京から現在の場所に移築された年をもって創建とし、創建1300年が過ぎたと言っている。
この移築をしたのが藤原不比等であり、もともと興福寺は藤原家の私寺であったが、藤原家の権勢で、「造興福寺仏殿司」が置かれ、官寺の扱いとなる。その後、不比等の娘、光明子が聖武天皇の皇后となると天皇家との関係が深まり、東金堂(聖武天皇建立)、五重塔(光明皇后建立)、北円堂(元明・元正天皇建立)、西金堂(光明皇后建立)など次々と大伽藍ができた。
三重塔 南円堂の裏側に
隠れていて
今まで気が付かなかった
平安時代には、春日大社も興福寺の管理下に入り、大和の国一国の荘園のほとんどを寺領とし、事実上の国主となる。
平安時代には源平合戦で東大寺とともに平清盛に反抗したため、焼き討ちにあい大半の伽藍が消失した。
その後再建され、安土桃山時代には春日大社、興福寺合体の知行として2万1千石を領し、江戸末期まで続く。
長い間権勢を誇った興福寺も、明治時代の神仏分離令により、廃仏毀釈の嵐に巻き込まれ、寺領は没収、僧は春日大社の神職となる。
また、境内のすべての塀は取り払われ、樹木が植えられて奈良公園となる。
阿修羅様は元はこんな色だった
しっかり再建に協力している
現在の、奈良地方裁判所、奈良ホテル、奈良県庁などは子院があったところだ。一時、五重塔が売りに出されたほど寂れた。

これが興福寺が「寺に塀がなく公園の中に寺院がある状態で、開かれた寺院」になった顛末だ。
1998年に興福寺は世界遺産に登録され、国の史跡整備保存事業として発掘調査が行われており、平城遷都1300年を期に、現在中金堂が再建中、さらに南大門の再建も計画されている。
現存する各寺院(北円堂、南円堂、東金堂など)を囲む塀も検討されていると聞く。私としては塀の再建はやめて欲しいと思うが・・・・。
再建中の中金堂
国宝の数26件、重文数44件を数えるすごい寺院の割に、東大寺と比べて地味な印象の寺院だが、国宝館ミュージアムが出来て観光客がどっと増えている。
中金堂の再建には60億円の費用がかかるのだが、あの阿修羅様が東京へ出張され、しっかり稼いで再建に協力したと言われている。
一度ミュージアムを訪れてほしい、きっと暗くて、陰気な仏像のイメージが、がらりと変わること請け合い。
国宝館












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