Saturday, August 4, 2012

頼朝と重源展から

東大寺・重源上人像


奈良国立博物館で特別展「頼朝と重源展」が開催されている。
重源像は普段、東大寺俊乗堂に安置されていて、年に2度(7月5日の俊乗忌と12月16日の良弁忌)しかご開帳されない国宝である。
それが、奈良国立博物館でガラスケースに入っているとはいえ、すぐ間近で裏側にも回って見ることが出来るので、酷暑の中出かけた。
実は、重源上人像は東大寺だけではなく、他にも存在する。
山口・阿弥陀寺重源上人坐像(重要文化財)像高 87.7センチ 12世紀
兵庫・浄土寺の坐像(重要文化財)像高 82.5センチ 1234年
三重・新大仏寺の坐像(重要文化財)像高 81.6センチ 13世紀前期の3箇所である。

1180年、平重盛の南都焼討により、東大寺は伽藍の大半を失った。大仏殿は焼失、大仏像も甚大な被害をこうむる。
後白河法皇の支援のもと大仏再興事業が始まり、この事業を任されたのが俊乗坊重源上人である。
彼は、京都醍醐寺円明寺で密教を学び、その後、浄土宗に帰依したが、中国宋へ三度渡り天台の教えや、当時最先端の土木技術などを持ち帰ったと言われている。
この技術・経歴が、東大寺再建の大勧進職に任じられた理由だろう、既に60歳だった。大仏建立の際、行基上人が聖として全国を経巡り、布施を募り、造寺、造仏、写経などを通じて大仏完成を成し遂げたのに倣い、同じように全国を巡行して回った。
努力の結果、1203年東大寺は、大仏様(だいぶつよう)と言われる宋風建築様式で見事に再興され、その3年後1206年重源上人はこの世を去る、86歳。

今回展示されている東大寺俊乗堂の重源像は像高82.5センチ 13世紀の作とされている。その作風から運慶(あるいは快慶)が刻んだと言われている。
山口・阿弥陀寺の重源上人像
年老いて最晩年の風貌を伝えるものだ。
山口・阿弥陀寺重源上人像、三重・新大仏寺の像は、上人が若い頃両寺を建立した時に造られたもので、若い時の姿を写している。
東大寺の重源上人像と見比べてください。

一般的に生きている僧の姿を像に刻むケースは少ないが、禅宗が盛んになると教えを弟子に伝授する際、頂相(ちんぞう、自分の画像)と共に印信を伝える方法が盛んになり、頂相の代わりに生きている姿を像に刻むことも増えてくる。この像を寿像と言う、重源上人像の若いころのものは寿像だろう。

今回の展覧会で頼朝が登場しているのは、東大寺再興のスポンサーであった後白河法皇が亡くなったあと、大壇越として膨大な資金や物資の調達のみならず、大仏殿安置の巨像群造立を御家人に分担させるなど、重源上人をバックアップした関係からである。(知らなかった・・・)




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