Monday, October 3, 2011

新薬師寺十二神将

新薬師寺本堂

新薬師寺って新しい薬師寺と思っていた。 飛鳥の薬師寺は680年創建、新薬師寺は平城京にあって747年の創建だ。
土壇
奈良の寺院となると、光明皇后の名が出てくる。 新薬師寺は夫、聖武天皇が病弱だったので、病気平癒のため新薬師寺を建て七仏薬師像を造ったと言われている。 この新薬師寺の意味は新しいではなく、霊言あらたかなと言う意味。
七仏薬師像とは、薬師如来と脇侍日光菩薩、月光菩薩のセットを7セットである。
7セットの薬師如来像を並べるには、かなり横長のお堂がいる。
十二神将像
現在の新薬師寺本堂はこじんまりした建物で、もとの新薬師寺の一番南端にあった僧坊である。
オリジナルの新薬師寺は東西両塔をもち七堂伽藍がある大寺院だったが、度重なる火災、台風、などにより焼失、現在の姿になった。 隣接する奈良教育大学の敷地の発掘調査で巨大な金堂跡が発見され、七セットの薬師像を安置した大きな本堂の存在が裏付けられた。(2008年)
現在の本堂は国宝で、真ん中に相撲の土俵のような円形の土壇が築かれており、その上に薬師如来像とその周りを取り囲むように十二神将が外向けに祀られている。
迷企羅像

新薬師寺では十二神将が良い。
暗いお堂に並んでいる十二神将のリアルで立派な甲冑姿に圧倒される、まさに薬師如来様をぐるりと取り囲んで守護している姿だ。名前に全部「羅」がついている。
戦闘態勢にある将軍たちという印象、日本で最古で最大の十二神将と言われている。
真ん中に木組みを組みその周りに縄と藁で芯を形成する。その芯に土を巻いて塑像にしてゆく。
荒い土から徐々に細かな土にして最後は雲母を細かく砕いた粉を多量に混ぜて最終の仕上げをしている。そうするとヒビ割れが出来ないのだ。
塑像はひび割れが最大の敵である。
十二体ある神将像は一体を除いてすべて国宝指定になっている、その一体はどれかを探すのも一興。 神将像だけ見て「これだ」と言える人は相当の鑑識眼を持った人だ。学者でもなかなか分からないほどよく出来ている。
彩色された迷企羅像
実は中の一体が地震で壊れたため、かなりレベルの落ちるひどい作品(素人の作?)が置かれていたのを、他の国宝と釣合いが取れるようにと、昭和になって新しく作成された像で、波夷羅大将像がそれだ。

十二神将は作られた時は(中に天平と書かれた像がある)全体がきらびやかに彩色されていた。微かな色彩が残されているのをコンピュータグラフィック技術を使って、当時の状況を再現した画像が堂内に展示されている。
薬師如来像
実に鮮やかで華やか、キラキラしていたことがわかる。こんなきらびやかな十二神将がずらりと並んでいたら壮観だったに違いない。


一方、ご本尊の薬師如来像は十二神将像よりもずっと時代が下る8世紀平安初期の作であり、まゆ、瞳、髪、唇を除いて、彩色を施さないカヤの一木造、素木作りである。
目が大きく子供のようなお顔が可愛い。化仏が光背に六体あり全部で七仏薬師如来となっている。
周辺をド派手な十二神将に囲まれた素木つくりの仏様と言うコンビネーションはどのように見えたのだろう?




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