Wednesday, September 21, 2011

光明皇后の寺、法華寺

本堂
前回、海龍王寺ブログの中で、藤原不比等邸宅跡が光明皇后宮となり、それを寺院にしたのが、法華寺であることは触れた。
中臣鎌足を祖とする藤原家は、不比等の時代に最大の権勢を誇る。光明皇后の母は橘三千代だ、軽皇子(後の文武天皇)の乳母をしていた三千代が、不比等の後妻となり、光明子を生んだ。
十一面観音
不比等に嫁いだ後も、宮人筆頭として、朝廷で影響力が強かった女傑である。この夫婦だから、光明子を、皇族以外から始めて皇后に出来たのだ。
後に、伝承される光明皇后ストーリーはトップレディーとして、地位と権勢を駆使できた彼女のこのような背景から来ている。
現代の我々は、聖武天皇の后として、多くの御物を東大寺正倉院に寄贈してくれた彼女に感謝しないといけない。
彼女のお陰でどれだけ貴重な文物が、あのような状態の良い形で残されたかを考えると、ノーベル賞でも差し上げたい気持ちになる。

法華寺は、国営の総国分寺だった東大寺と並んで、総国分尼寺であった。法華寺の名は、法華滅罪之寺から来ており、法華経は女人成仏を本願としているので、尼寺を意味した。
光明皇后ゆかりの寺院であるため、
長い間門跡院であった。

海龍王寺は不比等邸の東北隅、残りは法華寺であったから、海龍王寺の裏から直接入れば、法華寺の境内はすぐのはず。しかし、今は塀で囲まれているのと、両寺の間は、神社や民家、畑などになっているため、両寺は背中合わせなのに、ぐるっと回ってゆかないといけない。
周りはすっかり住宅街になっており、平城京の趣はまったくない。飛鳥宮や平城京は、現代の街からは窺えない、頭の中で想像しないと見えてこない。
この辺りが、奈良、飛鳥地方が若い人達に余り受けない理由かも。

ご本尊は十一面観音像である。「インドの仏師 問答師が光明皇后を模して造った」と言われている。実際にはこの像は平安初期、9世紀前半のものだ。
十一面観音
カヤの木の一木造り、木肌の美しさを活かした素地仕上げとなっているが、髪、まゆ、ヒゲなどは群青色、唇は朱色、目には白色が塗られている。
経典では十一面観音像は白檀で造ることになっているが、日本では白檀を産しないため、カヤが使われる。
秘仏で毎年春と秋に特別拝観時のみお姿を拝める。(今年は10月25日から11月10日)
胸が膨らんでいて腰を捻っているお姿は官能的で、秋篠寺の伎芸天像と似通っている。

庭に会津八一の歌碑が建っている。

ふじわらのおおき
きさきをうつしみに
あひみるごとく
あかきくちびる


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