Sunday, September 11, 2011

海龍王寺

海龍王寺入り口

近鉄電車が奈良市に入ると、新大宮駅の手前で平城宮跡を斜めに横切る。
海龍王寺寺名
近年、色鮮やかな、大極殿、朱雀門、東院庭園や、当時あった建築物跡の復元が行われている。
いつも電車の中から眺めているだけで、まだ中に入ったことがない。
奈良時代の平城京東北角に藤原不比等の屋敷があった。この建物にぶつかる条坊がこの部分でずれていることから、平城京ができる前から存在していたことが分かる。

藤原不比等屋敷跡の東北角に海龍王寺がある。
五重小塔
平城京の東北角にあったせいで、海龍王寺は隅寺とも呼ばれていた。国を挙げての飛鳥京からの遷都で計画道路を曲げさせた程、藤原不比等は勢威があった。それは、藤原不比等の娘、光明子が聖武天皇の妃、光明皇后だったからだ。 不比等亡き後は光明皇后が邸宅を相続し、皇后宮となった。後にこの皇后宮は東大寺とならぶ総国分尼寺(法華寺)となる。法華寺については次回のブログで触れたい。
この邸宅敷地の東北角に光明皇后が発願して、海龍王寺を建立したと伝えられている。隅寺がなぜ海龍王寺となったのか。
西金堂
海龍王寺と言う寺名は、海龍王経という経典にちなむものだ、遣唐使であった僧玄昉が中国からの帰途、大嵐に遭遇し、海龍王経を唱えて救われたとの伝承がある。僧玄昉が初代住持となったので、この名前がついたとされている。
海龍王寺では、国宝の五重小塔が有名だ。西金堂内に設置されており、総高4.1m(相輪を含む)しかない。様式は8世紀前半のものとされている。
通常の五重塔のミニチュアだが、内部構造は省略されていて、一層ずつ箱状の構造物を積み上げて作成されている。
十一面観音
組物などの細かな部材は外部から貼り付けられたものだが、肘木、斗(ます)、軒天井などは薬師寺東塔と同じ構造である。
当初、どのような目的だったのか不明だが、この塔は小さいながらも「模型」ではなく、正式な塔として造られ、西金堂はこの塔の覆屋として建てられたとする説もある。

ご本尊は十一面観音像だが、秘宝とされ、10月25日ー11月10日まで特別拝観が出来る。光明皇后自らが刻まれた観音像を基に、鎌倉時代に慶派の仏師が造立したものと伝えられる。
海龍王寺参道

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