Thursday, July 21, 2011

飛鳥大仏

飛鳥寺裏口
暑い日、橿原神宮駅からバス(1時間に1本のみ)に乗って、飛鳥寺へ出かけた。 日本で一番古いお寺であり、一番最初に日本で作られた仏像がある、それが飛鳥大仏だ。
飛鳥寺入り口
ややこしいのだけれど、最初は有名な蘇我馬子の氏寺として建立され、寺名は法興寺、また元興寺とも言われる。
飛鳥から平城京へ遷都された折に、法興寺も一緒に移転され元興寺となった。
お寺だけでなく、遷都の折には宮殿や建家なども殆ど移築されたらしい。
蘇我馬子が最初に建立した飛鳥の法興寺中金堂跡に、小寺院が残された、これを「安居院」(あんごいん)と言う。
安居院を中心に現存するお堂をまとめて飛鳥寺と呼ぶ。
田んぼの中にひっそりと佇むこじんまりした寺院である。

日本書紀によると、法興寺は587年に蘇我馬子が、排仏派の物部守屋との闘いに際し、この戦いに勝利したら仏寺を建立することを誓い無事に勝利したので、この地に寺を建立することにしたとある。
興味のあるのは、このころ、「百済の客」が日本には尼寺しかなかったので、法興寺をつくるべきであると上申した。即ち当時、百済に留学した善信尼などの尼はいたが、日本人の正式な男僧はいなかった。

元祖、法興寺は平城遷都でほとんどすべての寺院が持っていかれ、その後も
飛鳥大仏
火災による焼失など中世以降衰退、江戸時代の学者・本居宣長が訪れて、「門などもなく、かりそめなる堂」に本尊釈迦如来像が安置されるのみだったと書いている。

寺院は小さくとも、本尊釈迦如来像は飛鳥大仏と呼ばれ、飛鳥仏の代表であり、一見の価値がある。
法隆寺釈迦如来像とならんで、百済人鞍作止利が作ったもの。
両方共よく似ているが、伝説によると、日本では勿論仏像はまだなく、仏師もいない。馬具の技術者だった鞍作止利に仏像制作が命じられた。彼は持仏として持っていた小さな百済仏を参考に、丈六(一丈六尺、4.8メートル)の釈迦如来像を作ったと言われている。
二度の火災でぼろぼろになり、その都度修復がなされている、そのため飛鳥時代のものはお顔の上半分、左耳、左手指などのみだ。
蘇我入鹿首塚
しかし、日本のその後の仏像とは異なり、お顔は面長でアーモンド型の目、アルカイックスマイルを浮かべた口元など、アフガニスタン辺りの石仏にちかい。
インド人の顔を模したものと言われ、異国情緒いっぱいの仏像だ。

飛鳥寺のすぐ近くに、中大兄皇子に討たれた蘇我入鹿(蘇我馬子の孫)の首塚とされる五輪の塔があり、飛鳥の血なまぐさい歴史が感じられる。








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