Monday, March 7, 2011

中宮寺 半跏思惟像




中宮寺は法隆寺のすぐ隣に位置する。寺院そのものはコンクリート作りの新しい建物だ。
中宮寺の名前は、聖徳太子の母 穴穂部間人(あなほべのはしひと)が中宮と呼ばれていたから、とか葦垣宮・岡本宮・斑鳩宮の中程にあったからとか言われている。16世紀ごろから、皇族の女院を寺主とする門跡尼寺となり、歴史のある名蹟だが何度も崩壊し現在に至っている。
寺院建築としては見るべきものはないのだが、ご本尊の「半跏思惟像」弥勒菩薩がとても有名。

聖徳太子が建立したと伝えられるお寺が7寺ある。法隆寺・四天王寺・中宮寺・橘寺・蜂丘寺・池後寺・葛城寺である。
蜂丘寺は現在の京都広隆寺だ。
京都広隆寺・半跏思惟像もその美しさで有名だ(国宝第1号)、中宮寺の美しい半跏思惟弥勒菩薩と並んで半跏思惟菩薩像の双璧だろう。しかし、聖徳太子の7ケ寺に両方あるのが不思議だ。
ここの菩薩様は、かすかに右手の指を頬に当てて、物思いに耽っているようにみえる。教えでは、56億7千万年後の遠い先にどうやって衆生を救済するかを考えているのだそうだ。
和辻哲郎「古寺巡礼」や亀井勝一郎「大和古寺風物詩」をはじめとして、数多くの人たちが礼賛の言葉を書き綴っている。

一見すると金銅仏に見えるが、このお像は木造である、全身の肌が黒くてつやがある。全身の黒色はかつて下地として塗られた漆であって、作られた当時は彩色されていたと言う。

誰でも思惟像を見れば、ロダンの考える人を想起する。
亀井勝一郎もこの二つを思い浮かべて、「私はロダンを退けようというのではない。西洋の彫刻をつまらぬとは思わない。ただ比較を絶したものがあるのだ」と言い切っている。
いろんな人が書いたものを読むと、この像を女性として扱っていることが多い。和辻哲郎も「彼女」とか「聖女」とかと書いている。
おそらく中宮寺が尼寺であることと、この像があまりにもやさしく作られているため、その雰囲気から女性を感じるのだろう。
菩薩は本来、お釈迦さまの修行時代の姿を写したものだから、男性なのだ。でもここの菩薩様には、そっと閉じた瞼やかすかな笑をたたえた口元から女性を感じる。
また髪型は双髻に結ってあり、古代中国の未婚女性の髪型と同じとだと言う説もある。

中宮寺には他に国宝「天寿国曼荼羅繍帳」がある、実物は奈良国立博物館に所蔵されており、お寺にあるのはレプリカだが、すばらしい。
天寿国曼荼羅繍帳については、また別途書きたい。

神秘的で女性的な半跏弥勒菩薩像を見ていて昔の話を思い出した。
1960年、京都広隆寺の半跏思惟像が、あまりに美しいので、柵を超えて思わず頬ずりをした大学生がいて、その時、頬に当てた指を折ってしまったと言う話。
あまり感情移入をするとあぶない。

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